フジテレビのデモは行われなかった

今日行われたフジテレビの韓流ごり推し反対デモについて、
デモの是非に関して言うと、
最近のネットでの主流派の主張に完全同意なので、
追加で言うことはほとんどありません。

1. フジテレビをはじめとするテレビ局は、
電波オークションを拒否することで、
電波利用料を安く買い叩いており、
これは、膨大な国費が投入されているのと同じことである。
ところが、電波オークションの導入論に対して、テレビ局は「公共性」を盾に反対してきた。
つまり、テレビ局が「公共性」を否定するなら、電波オークションの導入を拒否できない。
しかし、電波オークションが導入されれば、
現在のテレビのシステムが解体されるのは必至なので、
テレビ局にとって「公共性」はなくてはならないキーワードである。

2.テレビ局が特定の商品に肩入れして人気を惹起するのは、
伝統的に行われてきた手法であった。
自社のドラマや映画を、番組内でしつこく宣伝したり、
ジャニーズやAKB48などを「国民的アイドル」として持ち上げ、
一切の批判を許さない姿勢などが見られた。
この背景には、芸能事務所との力関係や、
放送外収入の問題などがある。
これらは、形式的には広告放送の分離を定めた放送法51条2項に違反しないとは言え、
少なくとも、テレビ局の公共性に疑念に抱かせるものであり、
大きな問題であると言える。
韓流ごり押しの問題は、こうした多くの問題の一例に過ぎない。

3. インターネットを始め、メディアが多様化した現在、
テレビ局が利益を維持するために、
こうした「偏向した」報道に走らざるをえないのも事実であり、
「テレビの公共性を取り戻せ」というのに、
ほとんど意味がないという主張には同意できる。
ただし、そうでれば電波オークションを導入するべきである。
これは、実質的に現行のテレビのシステムの解体を意味する。
だから、テレビ局が現在の体制を維持しようとするのであれば、
矛盾を知りつつも、批判を無視する態度を取るしかないのも仕方ないことである。

4. 他に多くの「ごり押し」がある中、
韓流ごり押しの反対にだけデモが成立するのは、
排外主義とのつながりがあることは否定できない。
だから、このデモに積極的に参加する気にはなれないが、
現在のテレビのシステムの矛盾を提示するという意味では、
重要な意味があると考えているし、
その意味で、気持ちの上では応援したいと考えている。

3,4あたりは人によって違うにしろ、
1,2は、大筋で合意されている話ではないでしょうか。

さて、この記事で言いたいのは、このことではありません。

自分は、上に書いたような理由で、フジテレビで行われたデモを、
遠巻きながら応援したいという気持ちを持っているわけですが、
このデモは、フジテレビにほとんど影響しないと思います。

なぜなら、「フジテレビのデモは行われていない」からです。

日本の大手メディアは、このデモを一切報道していません。
デモが1万人になっても、10万人になっても報道しない。
ネットを見ない多くの人にとって、
このデモは「存在しない」のです。
だから、フジテレビが抗議文の文書受け取りを拒否したものも当然のことです。
存在しないデモなど無視すれば良いわけで、
文書を受け取って、存在を認めることになるのを恐れたのではないかと思います。

今の大学生を見ていると
「テレビよりもニコニコ動画」という学生も多いので、
そういう感覚からすると、ネットの言論の方が
メインであると思いがちです。
ただ、テレビ局の人がそんな感覚でいると思ったら間違いでしょう。
世の中には「ネットは見ないが、テレビは見る」という人がかなりの割合を占めており、
テレビ局はむしろこういう人を相手に商売しているということが
重要ではないかと思います。

まぁ、これは異常と言えば異常な状況ですが、
もともと、クロスオーナシップが一般的な日本のマスメディアはそもそも異常なのです。
これに関して、ネットで批判するのは簡単ですが、
いくら批判しても、大手マスコミしか見ない人にとっては、
その批判自体が「存在しない」わけですから、
痛くも痒くもないわけです。

日本のテレビの将来ということを考えたとき、
趣味・嗜好の多様化した現在、
技術的には、IPマルチキャスト化、衛星放送化するのが合理的なわけで、
その中で、現在の地上波テレビのようなものは、
緩やかに縮小していただくというのが、
筋ではないかと思います。

ただ、今回の件でも明らかになったように、マスコミのシステムそのものを批判する声が、
マスコミの内側に決して届かない、
したがって、力を持った意見として、
政治や行政に届かないという現状を、
無視してはいけないでしょう。

おそらく、テレビは韓流ごり推しの次は、
もっと別のものをごり押しし、
ゆっくりとではあるが、さらに劣化していく。
韓流ごり推し反対デモは、
そういう時代のメルクマールとして、
歴史に刻まれることになるのかもしれません。