衛生感覚としての放射能

人間の衛生感覚って、合理的ではない面もあります。

たとえば、「従業員が変わった性癖の持ち主で、工場でのカレーの製造工程の加熱殺菌前の段階にうんこを入れた」と言う事件があったとして、
「加熱されているから細菌の繁殖の心配はない、スーパーの刺身の方がよっぽど危険」
「加熱しても分解しない毒素は薄まれば問題ない、輸入食品の方が心配」
と考えて、問題なく購入する人は、あまりいないのではないでしょうか。「科学的」に健康被害をもたらす可能性はゼロではないものの、非常に低い。しかし、そういう問題ではなく、嫌悪感を覚えるでしょう。うんこ入りのカレーと、うんこなしのカレーを選べるのなら、うんこなしのカレーを選ぶという人が、大部分ではないかと思います。

これは、人間が食べ物のように、経験的に大きなリスクと関係するものについて、身につけてきた「衛生感覚」の問題です。変な食べ物を食べれば死ぬことだってあるわけで、それを避けるべく、さまざまな感覚を身につけてきたのです。これに反して、「科学的に安全だから食べろ」と言っても、見当違いの議論と言えるでしょう。似た例として、性の問題があります。現代に生きる私たちは、「性病の検査をしていて、避妊もしていれば、強制的に性交を迫っても問題ない」という論理を受け入れられないと思いますが、これを、科学的な安全性で議論するのはナンセンスなのと同じことです。いずれもプライベートな領域への侵犯に対する感覚的な嫌悪感と言えるでしょう。

ただ、こんな状況はあるかもしれません。漂流中、食糧が尽きる中、カレーを作っていたら、うんこがほんのちょっと入ってしまった。他に食べるものはない…。そんな時、キャプテンはうんこが入っていても、大丈夫だということを力説し、うんこ入りのカレーをみんなに食べてもらうかもしれません。今回の放射能の問題には、こういう側面もあります。わずかでも放射能が入っている食品を全部流通させないようにしたら、日本の流通は大パニックになったかもしれない。だから、一定の規制値を設けて、それ以下だったら、流通させるという方針は、(規制の程度や時期はともかく)合理的だったはずです。

一方、漂流中で他に食べ物が全くないというほど、深刻な状況ではない場合、これは、食品のブランドの問題になります。消費者は、できればうんこなしカレーを食べたいと思っている。だから、複数のブランドを選べる状況で、あるブランドのカレーに、うんこが混入してしまったかもしれないと聞いたら、消費者はそのブランドを買わなくなります。「うんこ入りカレー」は、健康被害をもたらさないかもしれないけれど、ブランド力を失う原因になるのです。だから、普通の食品会社なら、ブランドを維持するために、できる限り早く、出荷停止や商品回収などの措置を取るでしょう。

雪印の牛乳で食中毒の事件があったとき、すでに対策がなされているのだから、それを避けるのは「風評被害」だという言い方もできたはずです。中国から輸入された餃子に致死量の農薬が混入していた事件でも、死亡例はごくわずかであり、中国食品全体で言えば、交通事故よりもずっと少ない死亡率だったのだから、それを避けるのは「風評被害」だという言い方もできたはずです。しかし、消費者はこうした商品を避けました。それは、これが食品に関する信頼の問題であり、ブランドの問題だからです。

放射能の問題も同じであり、「風評被害」と批判しても仕方ありません。言うならば、ブランド被害です。原子力発電所の爆発によって、周辺の農産物のブランドが失われ、行政や農協の態度によって、そうしたブランド被害が拡大したというのが現状でしょう。

もちろん、東電や政府の負担額が増えると、最終的に税金や電気料金に跳ね返ります。だから、放射能を含むかもしれない農産物も積極的に食べましょうというキャンペーンは、それなりに合理的なものだと思います。また、いくら東電や政府の負担額が増えたところで、農家に対する補償が完全にはならないのだから、消費者が購入することで補うしかないという主張も、もっともな面があると思います。

ただ、理論上の話について言えば、それは消費者の選択にまかせられるべきであり、生産地や放射能の数値の公表によって、消費者に安心感を与えるとともに、ブランド力の向上につとめるべきだということになるでしょう。「うんこ入りカレー」を流通させるのは仕方ないにしろ、どれにどの程度入っているかは明示されるべきだという考え方です。「うんこ入りカレー」は健康被害がなくても、強制されてはいけないのです。これには、多くの人が納得するのではないでしょうか。

しかし、残念なことに、こうしたブランド被害は、強調すればするほど広がるという問題があります。放射能の検査を厳密に行い、規制値を超える農作物の出荷制限が報道されればされるほど、ブランド被害は広がります。一方、「そんなもの」ないんだという報道を繰り返せば、ブランド被害は最小限に食い止められます。したがって、規制値を緩め、ブランド被害を「風評被害」などと言い換えて、消費者を悪者にするのが、ブランド被害を最小限に留めるためにもっとも合理的な方法なのです。行政や農協は、この方針にかなり成功しているように思えます。セシウム牛の報道があるまで、福島産の牛肉が、問題なく売られていたことなどが、その一例でしょう。

日本の食品の海外への輸出比率が低く、マスコミの報道がダイレクトに消費につながる日本では、放射能の検査を強化するメリットよりも、行わずに「風評被害」を強調する作戦の方がブランド被害を最小にする目的にかなっているのです。農協の政治力を考えると、しっかりと放射能の検査が行ってほしいと考える人の願いが満たされる可能性は極めて低いと言えます。

行政の対応が期待できない現在、こうした現状を解決するには、市場原理にしたがった方法を取るしかないと思っています。「当店の商品は、○○Bq/kg以下であることを確認しています」「○○Bq/kgを超えたものについては、数値を表示しています」といった形で販売している店舗が増えることでしか、問題を解決できないということです。これを実店舗で行うのは限られた地域以外では難しいと思いますが、通販でなら可能です

たとえば、食品のネット通販を行っているOisixでは、全商品について放射能の検査を行っており、国の暫定基準値より厳しい、370Bq/Kgが保障されています。また、現在では、全商品が「検出されず」とされており、こちらについては、若干あいまいな記述であるものの、概ね、10Bq/kg以下を意味するようです。link

割高な料金を支払ってまで、こうした食品を買う価値があるかどうかは、賛否が分かれるところかと思います。しかし、こうした取り組みが安心した食品のブランドとして成功し、より一般的になっていくことは、行政や生産者の側が、食品の安全性に気をつけるようになるきっかけとはなるかもしれません。ただ、現状でこうしたサービスが爆発的に拡大しているようなことはありません。

そうだとしたら、むしろ、精神的努力によって、自分の衛生感覚を訓練しなおし、多少の放射能が含まれても問題ないということを、自分に納得させた方が、手っ取り早いかもしれません。うんこ入りカレーだって慣れれば食べられるようになるはずであり、訓練すればレイプされても苦痛に感じなくなるかもしれないのと同じように。

これはなかなか難しい問題になりそうです。