情報伝達と「心」―動物に心はあるのか?(link)

現代の科学者は、「心」というものを科学的な研究対象とし、「心があるかないか」を客観的な基準によって決めようとしました。たとえば、「心があるのは人間だけだ」、「いや、霊長類にも心がある」といったようなものです。しかし、デイヴィッド・チャーマーズが「意識のハードプロブレム」という言葉で批判したように、こうした研究は決して実証的な研究にはなりえなかったのです。たとえば、「犬に心がある」という研究は、「犬に感情移入しているのに過ぎない」という理由で批判されていたわけですが、では人間に感情移入をしないで、「人間に心がある」ということを言えるのかというと、それも微妙なのです。

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内藤里奈さんと情報学とペルソナ(link)

先日、秋葉原で「恋のから騒ぎ」の内藤里奈さんを見かけたことを日記に書いたのですが(リンク)、昨日の放送で、ご本人が以下のような趣旨のことを言っていたようです。

「あだ名がないから、街で気づかれても「ほら!あの性格の悪い子だよ!!」とか「恋からの生意気な女だよ!」とか言われる。しかも気づいてくれるのにオンエアのイメージからか、みんな怖がって話しかけてこない。怖がるもなにも全然怖くないのに痛すぎる偏見を持たれて交友関係に支障をきたしている。」 http://www.ntv.co.jp/koikara/new/20090131/index.html

自分はそれを読んで大爆笑。だって秋葉原で見かけた時も、名前を覚えておらず「あぁ、あの性格の悪い子ね」としか思わなかったのですから。あまりにも当たりすぎています。先日、自分が書いた日記には当たり前のように名前が載っていますが、それは家に帰ってきて「恋から」のWebページにアクセスして調べた結果でした。見かけた時点では、全然名前を思い出せなかったのです。

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秋葉原通り魔事件と負け組とニートと(link)

今は新卒一括採用ゲームでの勝利が人材価値を保証しない。叩き上げで獲得した専門性が人材価値をもたらす時代だ。なのに教育界や親がいまだに『いい学校・いい会社・いい人生』である。教育界はこの「勘違い」で飯を食う利害当事者だし、親はかつての常識から抜けられない。
厳しい家庭で優等生として孤独に過ごした加藤容疑者は、進学上の「敗北」を過大に受けとって「挫折」した。成績よりも友達がいないことを心配しない大人たちのダメさに問題を感じる。ネットの影響だのPCゲームの影響だのという議論は笑止だ。

某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント/MIYADAI.com Blog
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=65

自殺サイトに書き込みをする、「自殺志願者」の中で一定のカテゴリーを形成するようなグループとして、20代〜30代くらいの男性で、自分の能力の低さを悩みの理由に挙げるいわゆる「負け組」の意識を持つ人がいます。こうした人に共通する特徴としては、

1. 高い学歴(たとえば大卒以上)がある
2. 自分の理想とする仕事(典型的には、責任のある正社員ホワイトカラー)へのこだわりがあり、その仕事に就けないことで、自分の存在が否定されたかのように思う。

というような傾向があるように思えます。

こうした人の多くは、自分には能力がない、だから生きる意味がないと考えてしまっており、本人が生きる意味と直結するほど重要なものとして考えている「能力」が、実は特定の価値観によるもの過ぎないというは忘れられてしまっているのです。つまり、本人が「自分の能力」の問題だと思っているのは、多くの場合、「自分の能力が、今、自分が前提にしている価値観と矛盾している」ということに過ぎないわけですが、そのことに気づかないために、「生きる意味がない」という結論に至ると言うことができるでしょう

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トロッコ問題と情報学(link)

○トロッコ問題とは何か

ココログニュースの記事からたどって、Wired Visionというニュースサイトで倫理学の有名な問題が紹介されていることを知りました。具体的には記事中の以下の部分です。

5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。

多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。

しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。(中略)この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する、とBanaji氏は述べた。

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html

この問題、上の記事では架空の問題であるかのように扱われていますが、実際には医療倫理などで実際に問題になる状況を表しています。たとえば、救急車で運ばれてきた重症患者を受け入れると他の患者が犠牲になるというときどうすれば良いかという問題、国民全体の医療費や医療資源が限られている中、高額な費用を要する難病の患者への保険診療を認めるべきかというような問題があります。

○「トロッコ問題」の解釈

さて、記事では、この問題をカント主義と功利主義という単純化された対立の構図で理解した上で「パラドックス」と結論づけていますが、カント主義や功利主義に詳しい人の中には、これに違和感を感じた人もいるのではないでしょうか。結論から言うとこれは論理的に間違いであり、アンケートの結果に「パラドックス」などありません。なぜなら、この問題は論理的に以下の二つの問題に分割されるからです。これはどちらも生命倫理で一般的な論点です。

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生きる意味について(オリジナル)

「何のために生きているんだろう」「生きる意味なんてないんじゃないか」そんなふうに考えたことがある人はいないでしょうか?苦しいときときや悩んでいるとき、私たちはいつの間にか、そうやって考えてしまうものです。でも、「生きる意味」って、そんな簡単に見つけられるものではありません。しかし、生きる意味っていったい何なのでしょうか。

結論を先に言えば、「生きる意味」などどこにもありません。なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが「生きること」であり、生きることそのものに意味を与えるものは、どこにもないからです。世界のあらゆるものには意味がありますが、「生きること」は世界でたった一つ、意味がありません。私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、かけがえのない、素晴らしいことなのです。

たしかにそれぞれ生きていく中で、「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。しかし、それは決して本当の生きる意味ではなく、「自分が生きていく上で、重視している価値観」に過ぎないものです。「生きること」よりも優先されるようなもの、つまり、「生きること」に意味を与えるようなものは、世界中のどこを探してもないのです。

この記事では、「意味とは何か」という情報学の理論を踏まえながら「生きる意味」について考えていきたいと思います。

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情報学ブログはてな出張所

ココログに開設している情報学ブログのはてな出張所です。タイトルに「link」と付いている記事は、ココログへのリンク、そうではないものがオリジナル記事です。

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